ため息をつくと幸せが逃げるかどうかは分からんが「楽」にはなれる

こんにちは 谷山です。

僕んとこに来られる生徒さんと色々な話をしますが、基本的に皆さん真面目な方が多いです。

真面目さ故に悩んだり苦しんだりするんでしょうね~

かくゆう僕も持ち前の「真面目さ」で大いに苦しんだ時期もありましたしね。

そりゃもう「超」が付くぐらいの「真面目さ」ですから・・・・・

うん、まぁ、冗談はさておき、根が真面目な人ほどその「真面目さ」ゆえに「道徳」や「常識」に縛られてしまい、自分を解放できてない人が多い様に感じます。

「道徳」が人を縛る

「道徳」というのは人間が集団で生きて行く上で欠かせないモノであるにのは間違いないです。

ただ、その「道徳」というのも誰かが決めたモノである事も事実です。

小さい頃から

「自分がされて嫌な事は人にしてはいけない」

という教育を受けて来た人は多いですが、その道徳観こそ自分を縛るモノになります。

勿論、それを否定する訳ではありません。

ただ、行き過ぎた「道徳観」は世界を窮屈にします。

「自分がされて嫌な事は人にしてはいけない」はある意味で「常識」ですし、当然の事かと思います。

でもこういった考えに縛られ過ぎて「愚痴を言ってはいけない」「不平不満を口にしてはいけない」という様な考えを持ってしまっている人も多くいます。

でも僕は

「愚痴りたければ愚痴ればいいじゃん」

というスタンスです。

「愚痴」は「愚かで知恵が足りない」という意味合いを含んでいます。

調べると

「言ってもしかたがない事を、言っては嘆くこと」

と、どこからどう見ても「ネガティブ」です。

もちろん、愚痴らない事に越した事は無いですが、人間はそれぞれ「キャパシティ」があります。

自分のキャパを超えちゃってるのに、「愚痴はダメだ」とフタをしていたらその負荷は精神に蓄積されます。

大事なのは「愚痴」を言った後の行動にあるんじゃないかな~と思います。

「愚痴」は聞いてくれる相手がいて成立します。

もちろん聞かされている方は楽しくも無いでしょう。

でも、一通り愚痴ったら聞いてくれた相手に感謝をして同じ愚痴を二度と言わない様にするのが大事なんでは無いでしょうか?

それを僕は 「愚痴を成仏させる」と呼んでいます。

確かに「愚痴」は「愚かで知恵が足りない」のかもしれません。

でも、無理して背伸びするよりはそんな自分を一回は受け入れる勇氣を持つのも大切な事だと思います。

まぁ、ずっ~と同じ愚痴をボヤいてる人もいますけどね(笑)

ため息をつくと「楽」になる

「愚痴」と同じ様な意味合いで「ため息」も毛嫌いされる傾向があります。

「ため息をつくと不幸になる」なんて一度は聞いた事があるんじゃないでしょうか?

ただ、これは「氣」の観点からみれば「ため息」をつく事によって「胸」(4番チャクラ)に貯まっている残留物みたいな「氣」を吐き出す効果があります。

4番チャクラは「思い」の結晶なので、チャクラに貯まった浮かない「思い」を吐き出すのに「ため息」は良い事と捉える事も出来ます。

「ため息をつくと不幸になる」なんて根拠の無い言い伝えみたいなモノを氣にしてため息をつかない様にしているのは、「吐き出したい思い」を胸に溜め込んでいるのと同じ事になります。

ただ、「氣付いたらため息ばかり」というのは「うつ」の予兆でもあります。

要は「胸」にこれ以上「思い」を貯められない状態ですね。

その場合は「胸」に大きな詰まりが生じている可能性があるので、何かしらの善後策をとった方が良いかもしれませんが・・・・・・

一般常識に捕らわれ過ぎない様にする

この様な話を生徒さんにすると

「え?愚痴っても良いんですか?」

などと言われる事があります。

そんな時は

「愚痴った方がいいです。ただ、どうせ愚痴るなら愚痴った後は二度と同じ愚痴は言わないというぐらい一生懸命に愚痴った方がいいですよ」

と言います。

やっぱり世間様は「愚痴るのは弱い人間」「ため息は不幸の証」みたいな認識があります。

真面目な人はその認識に飲まれてしまい、「良い事」「悪い事」を区別します。

そういう風にジャッジする事が悪い事だとは思いませんが、そのジャッジに縛られ過ぎて自分のキャパを超えている人がいるのも事実です。

真面目な人はよく

「何も考えないで生きられる人が羨ましい・・・・」

と言ったりしますが、「何も考えない」のも「真面目」なのも等しく個性です。

いいんすよ、力抜いて考えれば。

「どういう風に生きるのが正しいのか?」

よりも

「どういう風に生きれば自分は楽しいのか?」

の方が人生をエンジョイ出来ると思いますよ~