スピリチュアルも結局は単なる「思想」の一つ

こんにちは 谷山です。

以前、生徒さんに

「ブログ記事でスピリチュアル批判の記事が面白いです」

とお褒め(?)の言葉を頂いた事があります。

う~ん・・・・別に意識して批判してる訳ではないのですが、確かに自分の書いた記事を読み返してみると批判的とも取れる内容の記事もあります。

ただ、「批判」というのは決して悪いだけのモノではないと思っているし、僕は別に「スピリチュアル」が嫌いな訳ではありません。

むしろ好きなぐらいです。

ただ、「スピリチュアル」という言葉の意味があまりにも広義になってきてしまっているし、あまりにも安易な意味合いで使われる事が多すぎる傾向は好ましくないと思っています。

なので今回はそんな「スピリチュアル」について僕なりに思う事を書いてみようと思います。

「スピリチュアル」も単なる「思想」の一つ

現代の「スピリチュアル業界」というのは多様に分類化されていますが、はっきり言ってしまえば全て「現代スピリチュアル思想」だと僕は思っています。

「いまここ」「非二元」「サイキック」「ヒーリング」「アセンション」などなど・・・・・・一言で「スピリチュアル」と言ってもたくさんのジャンルがある訳です。

それぞれのジャンルでそれぞれの考え方があり、目的も違ってきています。

スピが好きな人は自分の趣味嗜好や理想に近い「スピ思想」に同意しているだけなんだと僕は考えていますが、実際にその思想に傾倒している本人はそう思ってない場合が多くあります。

そこに現代のスピに関して問題があるように思います。

さて、本題に入る前に「思想」とは何なのか?という事を簡単に書いてみようと思います。

「思想」とは?

「思想」を辞書で調べると

①思い浮かんだ事 

②個人や全体の行動を支配するものの見方 

という風に出てきます。

この場合では②の意味合いで「思想」という言葉を考えていきます。

「思想」とは分かりやすく言うと

「その人がどのような考え方に浸っているのか」

と言い換える事もできると思います。

すっげえ簡単に説明すると「思想」とはそんな感じです。

「思想」「哲学」「宗教」の違い

では次に「思想」と仲良く同じジャンル訳される事が多い「哲学」と「宗教」との違いについて考えてみようと思います。(僕の見解を多分に含む意見です)

「思想」はさっきも説明した通り、必ずしも価値や存在の根拠に捉われない考え方であり人が「浸る」ものであります。

「哲学」は真理を追究し、人生の意義や意味など答えの出ない問いに対して考える学問であり、人間の生き方を考えるものであると思います。(もちろん西洋哲学、東洋哲学では違いがありますが)

「宗教」とは神や教祖などの「教え」から真理に近づこうとするものです。人間による思考や倫理などは除外される事が多く、信仰する事を求められる事が多いです。

とまぁ、かなり簡単に書くとこんな感じだと思います。

っていうかこういったテーマを書き出したら本当にキリがなく、多分いつまで経っても記事をアップできないので「思想」「哲学」「宗教」の違いを簡単にまとめさせてもらいました。

この3つはよく混同されるし、同じ場面で使われる事も多いです。

今回は「思想」というモノに注目しているので、一番最初に「思想」というモノを説明しましたが、実際は「哲学」も「宗教」も「思想」に内包されるものであります。

「哲学」「宗教」も「思想」の一つである、という事だけ覚えておいてくださいね。

「スピリチュアル思想」の問題点

「哲学」「宗教」の中で一番分かりやすいのは「宗教」だと思います。

「宗教」は何かしらの「信仰」とセットになっているモノであり、その信仰対象の教えを守る事を最重要としているので行動原理が分かりやすいです。(信仰対象の教えや思想が絶対であり、後世の検証や倫理を捻じ曲げる事があるのが問題ですがそれはまた別のお話)

「哲学」は時流の流れや世相によって補完されたり改められていく「捉え方、考え方」であるので信仰とは直接結び付きがありません。

分かりやすく言えば「宗教」と「哲学」は「信仰対象」があるのかないのかの違いと言えます。

現代の「スピリチュアル思想」の問題は「哲学」と「宗教」が中途半端なところでミックスされてしまっているところだと思います。

「現代スピリチュアル」を信仰している人は色々な宗派の神を無差別に崇めてる人はいても「強い信仰心」を持ってる人はあまり見かけません。

ただ、そういった人は「宗教」の決め台詞である「真理」という言葉を多用する傾向があります。

東洋思想に強く影響を受けている傾向があり、「悟り」という言葉が流行し、「自称覚者」がたくさん生まれました。

そんな程度ならばさして問題にはならないと思いますが、「自称覚者」は「真理」という言葉を使います。

「これが真理です」

直接的に「真理」という言葉を使わなくても

「これが宇宙のルールです」

などという言葉を使ったりします。

そんな事をブログなどに書いて公表しているので、それを読んで感銘を受けた読者も同じようなメッセージを自身のブログに書いたりしています。

まさしく「経験の伴わない真理」が拡散している訳です。

「人づてに聞いた真理」ってすげえ滅茶苦茶だな(笑)

しかもそういった「真理」の内容として現代社会の倫理や思考とはかけ離れている事が多く、一見魅力的にも映る為、現代を生きる事に疲れてしまっている人にはとても耳障りがよいので浸透しやすくもあります。

別に「社会性に乏しい思想」が流行するのが悪いと一方的に決めつけてはいませんが、生物としての成長を著しく停滞させる思想であるのかな~と思います。

何ていうか「人が生きる」という事から外れてしまっている様な氣がするんです。

「真理」は口に出した瞬間に「思想」になります。

「スピリチュアル」などの啓発が好きな人は

「これが真理」

と思い込むのではなく

「こういう考え方もあるんだな~」

と一歩引いた目線で人の思想に触れる事をお勧めしたいです。

自分の「思想」は自分で作る

人間は権威や情勢にどうしてもなびく生き物です。

「あの有名な人が言っていたから」

という言葉を耳にタコができるぐらい聞きました。

もちろん、流行している「思想」を学ぶのは悪い事ではないと思います。

でもそれはあくまで「見聞を広める為」に留めておくべきです。

決して「鵜呑み」にする為ではありません。

過去から現在までの色々な哲学や思想を学びつつ、自身の経験なども踏まえて自分の「思想」を作っていくべきなのかな~と僕は常々思っています。

現代の多様化する「スピリチュアル思想」は人を染めてしまう部分があります。

これは悪く言ってしまえば「宗教」に洗脳されている状態と大差ありません。

それでは単なる「思考停止」状態です。

自分の人生の責任の所在はやっぱり自分にあるんですから、あなたの「人生哲学」を作っていくべきだと僕は考えています。

今後、このブログでも過去や近代の思想家の哲学を紹介させてもらいながら読者さんと一緒に学んでより良い「思想」を作っていければと思っています。

あ、言っておきますけどこの記事も僕の「思想」ですから鵜呑みにしないでくださいね(笑)