霊魂や生まれ変わりを信じなければいけないのか?

こんにちは 谷山です。

あなたは神を信じますか?

「ヨーガ」「氣」という目には見えないモノに日々接しているとたまにぶっ飛んだ質問をされる事もあります。

そのうちの一つが

「谷山さんは神を信じますか?」

という類のモノ

僕は特定の信仰を持ち得ていないので、そう質問されても

「分かりません」

としか答えられないのが正直な所です。

霊魂や生まれ変わりを信じなければいけませんか?

「氣塾」で行っている「マスターヨーガ」はバラモン教の思想を引き継いでいるので「霊魂」や「輪廻転生」という考え方も出てきます。

仏教の「輪廻転生観」

まぁ、「霊魂」や「輪廻」はバラモン教に限らず、世界中に波及している思想とも言えますが・・・・

ただ、人それぞれ信じる「思想」というのはバラバラで、「霊魂」の類をどうしても信じれない人もいます。

面白いもんでそういった「信じない派の人」でも「氣」の存在は信じていたり、「氣」を含め目には見えないモノの存在を全く信じない人に別れたりします。

まぁ、生徒さんに「氣」の存在を全く否定されちゃったら僕も教える立場として「むむむ」となるしかありませんが・・・・

それでもマスターヨーガには体感してもらう術はありますが・・・・・・

とある生徒さんに

「氣塾でそう教えてるって事は私も輪廻転生を信じなければいけませんか?」

という質問をされた事があります。

僕はそういう時には

「信じたくなければ信じなくていいし、信じたければ信じて下さい」

という風に返します。

「氣塾」はあくまで「マスターヨーガ」と「内丹法」の技術を伝えて日常の生活を豊かにする場所であり、人の「思想」を染める場所ではありません。

なので「信じるも信じないもその人の自由」だと僕は思っています。

っていうか僕自身、そういった「輪廻」や「霊魂」についてあまり興味が無いのが本音です。

それでも「霊魂」や「輪廻」は存在してた方が腑に落ちるようになる

「信じたければ信じる」

僕はこういうスタンスではありますが、「霊魂」や「輪廻」などの知識は「行」や「瞑想」を行うならば思想として知っておいて損はないと思います。(霊魂や輪廻の考え方はジャンル分けすると「思想」の部類に入ります)

何故ならば「行」は自分を深く掘り下げる行為であり、深く掘り下げていくと

「何だこの胸の底から湧いてくる思いは!?」

とか

「何だこの見たことない景色は!? なんだこの記憶は!?」

などと今まで感じた事も無いような感覚やビジョンを見る事があります。

その時に

「いや、俺は前世なんか全く信じてないから氣のせいだよ」

というスタンスと

「これってもしかして前世の記憶(思い)ってやつなのかな・・・・」

というスタンスではその後の行に違いが出るからです。

僕なんかも最初はそういった事は全くの否定派だったのですが、「行」を進めていくうちに感覚的な感じではありますが腑に落ちるようになってきました。

前世や輪廻は確証がない

それでも確かに「輪廻」や「霊魂」「前世」などは確証があるモノではありません。

信じるも信じないも自由です。

僕も全くの否定派でしたが、何となく

「あるんじゃないかな~」

という風に思えてきました。

まぁ、「あってもなくても良い」というスタンスですけど。

ただ、言いたい事の一つとして

「信じすぎても信じなさ過ぎてもバランスは良くない」

という事です。

「私の前世はお姫様だったの」とか「僕の前世は宇宙人です」という考えを持っている人にたまに出会ったりしますが、それはいわゆる「エゴの肥大化」に伴った思考であり、現実面で良い方向へ向かう事もあまりないと思います。

自分の頭の中だけで留めておいてくれるならまだしも、一般社会でそんな事を公言する人と付き合いたいとは思わないです。

例え公言せずとも、それらは「エゴの肥大化」に伴う「選民思考」とも言える考えなので、人間の成長過程においてメリットは少ないでしょう。

逆に「輪廻」や「霊魂」を含め、そういった事を全く否定する思考の人は唯物的になりすぎる傾向があり、やはり本質的な成長には結びつきづらいかと思います。

まぁ、自分の思考は自分で決める事なので好きにするのが良いとは思いますが・・・・・

さっきも言いましたが「信じたければ信じれば良いし、信じられなければ信じないのが良い」

という事なんです。

何が一番大切かというと

「あの人が言ってるからある」

とか

「皆が言っているから存在する」

という風に他人の意見に流されない事だと思います。

僕は会社員の時は目に見える物しか信じない「超唯物思考」でした。

それは「目に見える物は確証があるから」という理由でそうなっていたのですが、内心では「目に見えない世界に確証を持ちたい」「信じれるなら信じたい、けど確証を持つまでは信じる事が出来ない」という思いが強くありました。

それから「氣エネルギー」というモノを感じざるを得ない状況になり、「目には見えない世界」の確証を得る事が出来ましたが、基本的に今でも「目に見えない世界」については懐疑的な部分もあります。

その懐疑的な部分を払拭する事が僕が「行」をやっている理由の一つでもあります。

確証もない事を「〇〇さんが言っているから」「ネットに書いてあったから」という思考停止した感じで鵜呑みにするのは危険ですよ、というお話でした。