瞑想に集中できない時期ってあると思うの

谷山です。

記事を書く際

「最初に名乗った方が良い」

と指摘を受けて「確かにそうだ」と納得してから記事の冒頭では必ず名乗るようにしています。

なのでほとんどの記事は「谷山です」から始まるけど、「なんかそれじゃ味氣ないな~」と感じて最初に挨拶をする事を考えた。

「こんにちは 谷山です」

が一番無難だと思うけど、夜にこのブログを見る人にとっては違和感を感じるだろうな~と思う。

「皆さん、こんにちは、こんばんは 谷山です」

だと何だかユーチューバーっぽくて嫌だし、朝からこのブログを見る人もたまにはいるだろう。

「おはこんばんちは」

この文言は全ての時間帯をフォローできる素晴らしい言葉だけど昔に活躍したメガネっ娘を連想させるし、40を控えたおっさんが軽々しく発していい言葉ではない事はいくら自分でも理解している。

なのでこれからも

「谷山です」

という始まりで記事を書いていこうと強く決意したのが今日の朝でした。

自分で書いてて思う。

どうでもいいと。

瞑想や呼吸法に集中できない

さて、生徒さんから

「いまいち呼吸法に集中できなくて動画などを見ながらやってしまいます。 いいんですかね?」

こういう質問をされる事がちょいちょいあります。

「いいんですかね?」と疑問に思ってるぐらいなら動画見なきゃいい話なんですけどね・・・・

まぁでも氣持ちはよく分かります。

現代は「刺激」に溢れた世の中ですから静かに瞑想をする事が苦手な人も多いと思います。

実際に僕もそうでした。

かなり前の話になりますが、僕が自宅でパチスロの実践動画を見ながら呼吸法をやっていると、娘が部屋に入ってきて

「そんなん見ながら修行してるの日本でもお父さんぐらいしかいないだろうね」

と侮蔑の眼差しで言われた事があります。

うん、そりゃそうかもね・・・・・・

静功と動功

「練功」(れんこう)には大きく分けて二つの種類があります。

静功

体を静止させた状態でおこなうトレーニング

瞑想や座禅、動かない呼吸法、イメージや発生を使って氣を動かすなどがこれにあたります。

動功

体を動かしながら行うトレーニング

太極拳などが最たる例ですし、動きながら行うヴィパッサナー瞑想などもこれにあたります。

まぁ、要は「動かずに行う」か「動きながら行う」かの違いという事です。

さっきも書いた通り、現代人は「刺激」に慣れ過ぎているので、ジッとしながら行う「静功」が苦手な人が多いと思います。

なので動画やテレビを見ながら呼吸法をやる人も多いんですね~

呼吸法と瞑想

さて、皆さん、ここまで「瞑想」と「呼吸法」を一緒くたにしている事をお氣付きでしょうか?

補足ですが、「瞑想」とは目を瞑って静かに座る事が「瞑想」ではありません。

自分の「意識状態」をいわゆる「瞑想状態」にする事が本当の意味での「瞑想」です。

なので目を瞑って静かに座っていても雑念だらけでそっちに意識がいっていれば「瞑想」とは言い難いですし、逆に激しく動きながらでもそれに「没頭」していれば立派な「瞑想」だと言えます。

そして「氣塾」の「呼吸法」は「氣力」を強くするのはもちろん、「氣」をコントロールする事で半強制的に「瞑想状態」を作り出します。

「氣」を操り、「瞑想状態」に入る事で自分の知りたい「答え」を降ろすのが目的の一つでもあります。

「テレビを見ながら」とか他の事に意識を集中しながら呼吸法をやる事は決して悪い事ではないですし、「氣力」を鍛えるという意味ではもちろん効果はあります。

けど、「他に意識が向いている状態」ではなかなか「没頭」できないのも事実ではあります。

なので

「テレビや動画を見ながら呼吸法をするのはいいでしょうか?」

という質問に対して

「悪くはないけど良くもない」

と僕は思う訳です。

でも「呼吸法」を続けていくと、嫌でも「氣力」が強くなり、「テレビ見ながら呼吸法をやりたいな~」なんて思ったとしても強制的に「瞑想状態」へ入ってしまい、逆にテレビなどがうざったく感じるようにもなったりします。

そうなればしめたモノで、どんどん深い瞑想に入っていく事が可能になります。

ただ、そうなるまでには多少の時間もかかるので、やっぱり最初のうちは「意識を集中したくない欲求」を多少は我慢して呼吸法に没頭していくのが良いと思います。

静かに「呼吸法」をしながら「う~テレビ見たい!」という欲求を観察する事をお勧めします。

そうやって「自分の意識」がどのように変化していくかを見極めれれば、わざわざ「瞑想しよう!」と思わなくても普段から「フッ」と瞑想状態に入れるようになります。

まぁ、やってりゃそのうち氣持ちよくなるから。