本当は書きたくなかった事

こんにちは 谷山です。

「練功」(氣の鍛錬)をしているとどうしても考える事があります。

「今、自分がやっている事に意味はあるのか?」

という根源的な疑問です。

この疑問は僕も大いに抱きました。

「呼吸法」なんてハタから見てればただ「フー フー フー ファ~」としている様にしか見えないし、「氣力」も「精神力」も目に見えないので自分で現象を動かせる様になるまでは変化している事に氣付きづらいです。

「本当に効果あんのかな?」

という事は「行」を続けていく上である程度の人が持つ疑問であるし、また持つべき疑問でもあるのかな、と思います。

実はそういった疑問の先に本当に「力」がつく未来があるのですが、自分で到達してみないとなかなか実感も沸かないもんです。

「呼吸法経験者」も「未経験者」も含め、「自己鍛錬を進めている人」に読んで貰いたい記事です。

ただ、本当は記事にしたくなかったんだよね・・・・・・・

結論!自分のやってる事を信じられるか!?

いきなり言ってしまいますが、「自分のやってる事を信じられるか?」というのが実はかなり重要な要素になってきます。

「鰯の頭も信心から」ではありませんが、同じ行うにしても「信じて」やれているのか?「信じてない」のか?では精神行というのは大きな差が出てきます。

「信じる」「信じない」というとちょっと大げさですが、「効果があると思いながらやってる」のと「効果が無いと思いながらやってる」の違いだと思って下さい。

そう、いわゆる「思い込み」(プラシーボ)が結果的に大きな差を作る事も珍しくありません。

「奇跡のリンゴ」で無農薬リンゴを始めて作った「木村秋則さん」は今でこそ著名人となり、パワフルなイメージがありますが、昔はド貧困だったらしいです。

「無農薬リンゴ」に挑戦しても挑戦しても実る事は無く、家族を満足に食べさせる事が出来なくなった時、自殺を思いたち山中へ首吊りをする為のロープを持って深夜にでかけました。

首を吊るのに丁度よい高さの木を見つけ、いざロープを投げかけるとロープはあらぬ方向へ飛んでいってしまいました。

「俺はまともにロープも投げられないのか・・・」

落ち込みまくっていた木村さんはそう思いながらロープを拾いに行きました。

すると、足を滑らせ、ちょっとした高さから落ちてしまったそうです。

「俺は何をやってもダメだな・・・」

そんな事を思った瞬間、何と目の前に「野生のリンゴ」が実っているのを見つけました。

誰も手入れなどしていない山中なので紛れもなく「無農薬リンゴ」です。

神秘的な話しですよね。

「神さま ありがとう!」

木村さんは死のギリギリのラインで「無農薬リンゴ」作りのヒントを得て、日本で始めて「無農薬リンゴ」を作ったそうです。

でも、実はこの話しにはオチがあって、木村さんが山中で見つけたリンゴの木は実は「どんぐりの木」でした。

暗がりで見分けがつかなかった事に後日氣づいたそうですが、「そんな事は関係ない」と自分に起きた出来事を信じて無農薬リンゴを作り上げました。

そう、一大ブームを巻き起こした「奇跡のリンゴ」も「どんぐりの木」と「リンゴの木」を見間違えた「思い込み」から生まれたムーブメントとなった訳です。

「信心」のパワー

僕は特定の信仰は持っていませんが、「宗教」を熱心にやってる人ほどパワーが溢れてるのを感じます。

それは「信心」とか「信仰心」と呼ばれるものが根源にあるからだと思います。

少し昔の有名な事件を思い出してください。

ちょっと信じてる程度で「毒ガス」を撒き散らすと思いますか?

もう心の底から「教祖」の教えに心酔し、強い信頼がなければ日本を本当に転覆させようなんて計画に協力しないはずです。

教祖は自分の事を「救世主」と謳い、それを信者は信じ込みました。

結果的に教祖は「救世主」になり得えなかったのですが、信者の「信心」と呼ばれる「思い込み」が大きな悲劇を生んだ事は否定できないでしょう。

良くも悪くもそれほど「信じる力」というのはパワフルなんです。

こういう事はホントは書きたくなかった

当たり前ですが、「氣」を打ち込む施術も「呼吸法」も目に見える何かを動かす訳ではありません。

それなのに「信じた方が効果がある」とか書くと何か無理やりそう思い込ませようとしてる様な感じがして抵抗感がありました。

なので「信じろ」みたいな事は書きたくなかったんですよね。

ただでさえ、世間的にはまだまだ風当たりの強い業種でもありますし・・・・

でも、やっぱり僕の経験則から言わせてもらうと「効果がある(もしくは出てきた)」と感じながら行った方がより効果が大きくなるのも事実なんです。(精神行は特に)

でも、「疑問を持つこと」が決して悪い訳ではないんです。

人から言われた事を信じ切ってしまうのはいわゆる「盲信」と呼ばれ、思考停止している人の事を指します。

なので大いに疑問を抱き、その疑問に答えを出して欲しいです。

何故ならば「疑問」の答えが出た時、更に大きな「力」が身につくからです。

僕が「呼吸法」を知った時は心身共にボロボロの状態でした。

他に何も出来るわけではなく、ただただ「呼吸法」にすがって毎日励み、氣付くと元の自分以上のパワフルさを取り戻す事が出来ました。

それでも「呼吸法」を続けていると、

「呼吸法ってこれ以上続けても意味あんのかな? 呼吸法やってなかったとしても俺は元に戻ったんじゃないかな? 結果的に呼吸法って意味あんのかな?」

と、「元に戻った感覚」に慣れてくるにつれ思い始めるようになりました。

それでもやっぱり困難にぶち当たった時や自分で何かしら「現象」を動かそうとした時に「呼吸法」をやっているのとやっていないのでは大きな差が出てたと思います。

まぁ、「氣力」が日に日に増してるので当たり前っちゃ当たり前なんですが・・・・

別に無理に「呼吸法」を信じろとかいうつもりはないです。

ただ、もしすぐに変化が感じられなかったとしても「呼吸法」は間違いなくあなたの「力」になるものです。

突き詰めてしまえば、信じるのは「呼吸法」ではなく、「呼吸法をやってる自分自身」であると思います。

何もしてないのに出て来る自信は空虚です。

人間は何事も積み重ねて成功する事で本当の自信がつきます。

自分の人生なのですから、自分自身を心の底から信頼してる人生を創っていただきたと思います。

あんまりこういう「信心」とかについては書きたくなかったけど色々あって書いてみました。

「思考停止」するんじゃなくて、何事にも「疑問」を抱きましょ、でも「自分のやってる事を信じる」のも大切ですよ、という矛盾をはらんだ記事でした。