ハートに従って生きる

谷山です。

今日は(も)「ハートチャクラ」について書いてみたいと思います。

何で何回も「ハートチャクラ」について書いてるかというと、生徒さんの変化や自分の変化を見てみるとやっぱり「ハートチャクラ」って生きてく上で重要なチャクラなんだな~、と実感せざるを得ないからなんです。

とある生徒さんの変化していく過程を踏まえて記事を書いてみます。

厳しい社会生活でボロボロになってしまったYさん

Yさんが僕んとこに来られたのは今年の4月ごろです。

Yさんは長年「アパレル関係」の仕事に従事していて、店舗を任される立場にいたそうです。

僕はアパレル関連は全く分からないのですが、基本「営業」ですから同じ店舗内のスタッフでも蹴落としあいは日常茶飯事であり、人間関係もかなりギクシャクしていたみたいです。

しかも、Yさんの住んでる場所は茨城県で勤務地が渋谷なので、片道2時間半の道のりを毎日通いながら人間関係と日々のノルマに追われること数年、Yさんの心身はボロボロになってしまい、最後の方にはお客さんの体の寸法を計る手すら恐怖と委縮で震えてしまっていたそうです。

僕んとこに来られた当初はYさんの態度もかなり委縮していて、何かに怯えているような印象を受けました。

氣の状態も頭部と胸に強烈な詰まりが生じていて、Yさんの当時の現状を物語っていました。

そんなにも追い込まれたYさんでしたが、「ここ(氣塾)にかけるしかない!」そんな風な意気込みでセッションを申し込んでくれたそうです。

呼吸法にすがってくれたYさん

まぁ、はっきり言ってボロボロだったYさんでしたが、氣脈や呼吸法の重要性の説明をし、施術が終わると今までに無かったような衝撃を受けたようで非常にスッキリした様子で帰っていきました。

あそこまでボロボロだった場合、何かを継続する氣力すら持ち得てない場合が多いので、正直

「次も来れんのかな?」

と疑問に思っていましたが、ちゃんと約束の日に次のセッションに来てくれました。

数回のセッションが終了したあたりで

「もう僕にはこれ(呼吸法)しかないと思っているので、毎日必死にやってます」

と言ってくれました。

この心境は僕も経験した事があり、「もうこれしかない!」と思った人間の強さは身を持って知っています。

その言葉を聞いた僕は

「Yさんももう大丈夫だな」

と安心した事も記憶に新しいです。

実際、3番チャクラまでの開発が終了し、活力が人並み以上に復活したYさんとは下らねえ話をしながら爆笑したりしています。

教室に来たばかりの4か月前とは既に別人のようになっているYさんを見るととりあえずは一安心できる状態になりました。

ハートチャクラに眠る思い

3番チャクラの開発が終わり、4番チャクラに突入したYさんですが、仕事面において過去の嫌な経験を乗り越えなければいけない局面に差し迫ってきました。

ここ最近は元氣を取り戻し、調子の良かったYさんですが過去の経験から次のステップに進むのをかなり躊躇してしまう状況でした。

これはまさしく「ハートチャクラ」に記憶された「思い」を解放する時期なのかな~、と思います。

「ハートチャクラ」は「思い」が眠る場所です。

よく

「ハートチャクラを開いて思い通りの人生を歩もう」

という文言をみかけますが、人間ってそんなにシンプルにポジティブにはなれないと僕は思います。

「思い」には「嫌な思い」も蓄積されていて、それがチャクラ開発と同時に噴き出してくる事もあります。(トラウマとも言ったりします)

ちょうど今のYさんがそんな感じですね。

Yさんだけでなく、「ハートチャクラ」の開発に入った人は過去の蓄積された「思い」などがジンワリと出てきて苦しみにも似た感覚を覚える人もいます。

その大体が

「私はこんな風に生きていきたい訳じゃなかったのに」

こんな感じの「思い」が出てくる事が多いみたいです。(もちろん出てこない人も多いですが)

簡単に言うと自分の中に眠っていた「本質的な思い」にフタをして生きてきたが故に生じてくる「苦しみ」みたいなもんです。

ハートチャクラには色々な「思い」が眠ってる訳なんですね。

「理屈」ありきではなく「思い」ありき

そんな風に「フタをしてきた思い」が溢れてくると本人的には大変だと思うのですが、僕からみるとその大変な思いは「フタをしてきた過去への清算」みたいなもんなので、その大変さはいわば新しいステップへの「生みの苦しみ」だと捉えています。

でも、せっかく「過去の思いの清算」が終わったとしても、今までと変わらず生きていたら同じように「思い」にフタをしてしまいます。

Yさんもこれからハートチャクラの開発が進み、良い思いもつらかった思いもジンワリと味わう時期にきていますが、大切なのはこれからの「生き方」です。

Yさんは男性なのでどうしても「理屈」で人生を捉えがちです。

「40歳ぐらいには年収はこれぐらいなきゃな」

とか

「30歳ぐらいまでには結婚しなければ世間体が悪い」

こんな風に外部と同じような尺度や世間体を氣にして生きていくのは「理屈」です。

そんな風に生きていってしまえば自分の「思い」にフタをする事になりかねません。

「胸に手をあてて考えてみろ」

ではありませんが、大切なのって自分の「思い」を生き方としてどう表現するかだと思います。

自分の「思い」を表現していく為に「理屈」や「理論」を駆使していくのであって、「理屈」を組み立てる為に生きていくのは本当につらい人生だと思います。

まぁ、ここで書いてるのはある人から見たら「綺麗ごと」に写るでしょう。

でも、せっかく一度の人生なんですから、自分の中の「思い」に従って生きていく事にチャレンジした方が絶対に後悔しないと僕は思っています。

現実的に「理屈ありき」よりも「思いありき」の人生を歩むのって勇氣がいる事だと思います。

ただ、根拠はありませんがそっちの方が楽に生きていけるんじゃないかな~、と思う今日この頃です。

「そんな生き方は常識的じゃない」

そんな事を言う人も出てくるかもしれません。

でも誰かが決めた「常識」より自分の素直な「思い」に忠実に生きていけるパワーを身に着けて絶対に後悔しない生き方をチョイスしていきましょう!!