動じない人間になるとは?

谷山です。

このブログを読んで僕んとこに来てくれる人のほとんどは

「氣力を強くしたい!」

「もっとやる氣が欲しい!」

そんな目的で来られる方が多いです。

まぁ、ブログの内容もそういった事を中心に書いているので当然っちゃ当然なんですけどね・・・・

そんで、多くの人が言うのが

「氣力を強くして、物事に動じない自分を作りたい」

と口を合わせます。

イメージ的にどっしりと腰の座った自分をイメージしてるんでしょうね。

これは僕も目指す所ではありますが、みんな「泰然自若」を地で行くような人間になりたいと願ってる訳です。

あんまりそういう事を考えない人も多いようですが、皆さん向上心をしっかりとお持ちなんですね。

実際、「氣力」が強くなれば精神は安定しますし、物事に対して揺れる事は少なくなります。

今日はそんな「急激に物事に動じなくなる」とはどういう事なのかを書いてみようと思います。

物事に動じなくなるとは?

基本的に人間は反射の生き物なので、外部からの刺激に反応して生活を送っています。

良い事が起きれば嬉しいし、悪い事が起きれば悲しんだり怒ったりして常に反応を示しています。

大体の人は嬉しい反応に対してはあまり氣にしません。

「あ~、何で私こんなに嬉しいだ・・・・ 駄目だ駄目だ!氣を引き締めなきゃ!」

なんて事は考えずに素直に喜ぶでしょう。(例外もありますが)

普通は自分にとって好ましくない出来事が起きた時は精神が大きく揺れて大なり小なり動揺します。

そして程度の差こそあれ、その「揺れ」を引きずり、自分を揺らし続けている人も多いです。

「精神が揺れる」ってのはなかなかつらいものであります。

だから皆

「氣力を強くして物事に動じない自分を作りたい」

と思う訳です。

「物事に動じなくなる」とは「精神が揺れづらくなる」であるという事です。

強い氣力は揺れるのを嫌う

もう何度も言ってる事ですが、「氣」というのは生命エネルギーです。

「氣」を表すのにしばしば「波長」という言葉を使います。

「あの人とは氣が合う」

「なんか彼女とは波長が合う」

よく聞く言葉ですが、同じ意味ですもんね。

実際、人が発する「氣」には波があって、喜んでいる時はそういった波、怒ってる時にはそういった波が生まれます。(まぁ、その波を波長と言うのだけど)

「物事に動じる」というのは外的要因などからその波を大きく揺らしてしまう事で、精神に作用します。

シンプルに自分が発する氣を強くたくましいものに鍛えてしまえば、発する氣は非常に揺れずらくなります。

まぁ、人間ですから外部からの刺激に全く反応しなくなるという事はありえません。

氣力が強くなれば、例え波が揺れたとしても元の状態に戻りやすくなるという訳です。

ダルンダルンに緩んだゴムとピンと張ったゴムを思い浮かべてもらえば分かりやすいかもしれませんね。

急激に揺れなくなると精神にどういった作用を及ぼすのか?

当たり前ですが、氣力を鍛えてると発する氣の波が強くなります。

特に「行」などのトレーニングを行わない場合、「氣力」を鍛える為には「修羅場」とか「土壇場」などギリギリの状況を乗り越え続けなければいけません。

剛腕の経営者や百戦錬磨の武道家などが良い例です。

そういった人はちょっとやそっとの事で揺れ無そうでしょ?

っていうかそんな大物が揺れまくってたら嫌だよね。

事あるごとにビビりまくってたりしてる姿はちょっと想像できません(笑)

ただ、氣塾でやっている「行」は「修羅場」などを経験しなくても、呼吸法と施術で「氣力」はどんどん強くなります。

そういった場合

「自分で把握してる自分」

「実際の自分」

に大きな差が出てくる事も少なくありません。

氣塾に来られる方はほとんどが「大人」です。

大人ですから、今まで色々な事を経験していて、その中で「自分はこういう人間である」という事を把握している訳です。

でも、急激に「氣力」が強くなると「把握してる自分」と「実際の自分」とのギャップに戸惑ったりします。

「氣力」が急激に強くなっているので氣の波は揺れづらくなってます。

だけど、今までの自分は揺れやすかったはずなのに、急に揺れなくなるので本人的には

「???」

となってしまう事もあります。

簡単に言うと「氣力」の変化に「精神」が追い付いていない状況が生まれる訳です。

これは僕も経験した事ですが、何かしらの出来事が起きた時などでもほとんど揺れない自分がいます。

「揺れない」という事は「動じない」とも言える訳で、何か起きたとしてもその時に自分がどう感じるかというと「どうでもいい」としか感じません。

ね?揺れてないでしょ(笑)

もうね、大体の事はホント「どうでもいい」ってなっちゃうんですよ。

その時は僕自身、精神が変化に追いついていない時だったので

「あれ?俺ってこんなに無感動な奴だったっけ?」

と思ったりもしてました。

ちょうど僕のところに来られる生徒さんでそういった人が多く出てきたところではありますが、そういった人は口を揃えて

「私、無氣力になったんでしょうか?」

と言います。

大概の事は「どうでもいい」と俯瞰した目線で見るようになり、精神が揺れなくなっているので慣れるまでは「無氣力」と勘違いしてしまうのもよく分かります。

言い方を変えると

「やたら冷めてしまう」

とも言いかえる事ができます。

自分が急激に変化をするので、自分自身が変化に追いついていかないケースも多々あるという事ですね。

人間は変化に適応していくモノ

変化の最中にいる時は確かに大変でもあります。

さっきも書きましたが、僕自身も

「自分はこんなにもイヤな奴だったのか?」

と戸惑ったりもしました。

だって、人から何か言われても「どうでもいい」としか感じないんだもん(笑)

例えばあなたが友人に

「昨日カレー食べたんだ!」

と言われたとしても

「へぇ~」

ぐらいにしか思わないのと同じように大概の事は「へぇ~」で済んでしまいます。

自分が無感動に映るかもしれませんね。

でも、人間は変化に適応していく生き物であり、自分自身を向上させようとする生き物です。

最中にいる時は思い悩んだりするかもしれませんが、絶対にその先では「自分のペース」を取り戻す事が出来ます。

自分のペースを取り戻す事により、外部からの刺激に対して

「どう反応するか?」

という事が自分で選択する事が出来るようになります。

そのそうなって初めて

「動じない自分」

というモノが出来ているのだと思います。

そう、何事にも動じない人ってある種「どうでもいい」という冷めた目線を持っているとも言える訳です。

急激な変化なので最初は戸惑ってしまうかもしれませんね。

自分自身を含めて、その様に変化してきている人をたくさん見ています。

人間のエネルギーや精神の変化って近くて見ていると本当に面白いし、勉強になります。

「冷めた人」と言ってしまえば聞こえは悪いですが、「動じない精神」を持つと何事も本当に楽になります。

自分が発する「氣」を鍛えて「泰然自若」な自分を作ってみたら人生変わっちゃうかもしれまえせんよ。