あなたは自分が「人格者」だと思いますか?

谷山です。

日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、世界では「テロ」の脅威に脅かされている国はたくさんあります。

僕自身、テロと遭遇した事もないし、「自分が遭遇するかも」という意識もないのでどこかで「他人事」の様に考えているフシもあるかもしれません。

つい最近見たニュースで去年イギリスで起きた「テロ」に関するニュースを見て思う事がありました。

テロの被害者を救出したヒーローが一転して犯罪者に

直接的には「テロ」と関係ないのですが、2017年5月にイギリスで起きたテロに関連するニュースです。

英マンチェスターにてアリアナ・グランデがショーを開催。その直後にエントランスロビー付近で自爆テロ事件が発生、多数の死傷者が出た現場は一瞬のうちに地獄絵図さながらの状態になってしまった。そんな中、たまたま現場近くで物乞いをしていたホームレス男性らが危険を顧みず負傷者らの救出に尽力。「ホームレス・ヒーロー」と呼ばれ多くのメディアに注目されたのだ

この「テロ事件」自体はニュースで見ましたし、とても胸が痛みました。

ただ、この「ホームレス・ヒーロー」のニュースは知りませんでした。

ホームレス・ヒーローと呼ばれたクリス・パーカーさん

ただ、このニュースには続きがあって

彼は爆弾に仕込まれていたらしきクギが顔、腕になどに刺さり苦しむ人々を介抱したことが伝えられ、後に英雄と讃えられた。さらに「彼をホームレス生活から救おう」と多くの人が寄付金を差し出したというが、このほど監視カメラに映るパーカーの様子が法廷で公開された。パーカーは血を流す人々の間をさまように歩き負傷した女性のバッグを盗み、中に入っていたカードを利用して何度もハンバーガーショップで食事をしたことが明らかになった。また10代の少女からは携帯電話を盗んでおり、「後にメディアに売ってお金にしよう」と事件に巻き込まれ倒れた人々の写真まで撮影していたことも分かったという。

というとんでもない「オチ」が待っていました。

「おいおい、何やってんねん」

と思わず突っ込んでしまいましたが、結局、彼は窃盗などの実刑判決が下る予定で彼の為に集められた寄付金などは提供者の元に返還されるそうです。

人は人に人格者である事を求める

このニュースを見て、呆れる傍ら自分の中で思うところもありました。

このクリスさんは「火事場泥棒」の様な事をした訳ですが、大勢の人を救ったのも事実です。

確かに窃盗などは許される行為ではありませんが、それで人を救った事実が無くなる訳ではありません。

このニュースは極端な例ですが、このニュースを見て僕はいつも感じている事を思い出しました。

それは

「人は英雄に人格を求める」

という事です。

まぁ、この意見には賛否両論あるでしょう。

僕も以前はそんな風に上に立つ人に人格を求めていた時期もありました。

でも僕が「精神世界」に触れる様になってからそういった考えは少しづつ変わっていきました。

「精神世界」に携わる人は人格者じゃなければいけない!?

僕が人に対して人格を求めなくなった大きな要因として、以前にお世話になっていたヨーガ道場での出来事があります。

そのヨーガを作った開祖の人を皆はまるで神様のような存在だと話していたし、実際にそんな感じで接している様に見えました。

僕としては一個人を神様の様に崇める事はどうしても出来ないので、「ほーん」ぐらいにしか思っていませんでしたが、ある時その開祖の人がある事件を起こしました。

事件の内容を書くと特定されてしまう可能性があるので詳細は書きませんが、一言で言うと「その罪で刑務所に入ったとしたら中でイジメられる様な事件」だと思って下さい。(まぁ、卑劣な事件って事です)

そんな事件を起こしてもその道場に通う人達は

「それは何かの間違いだ」

と信じていませんでしたし、そういった会話が出て来る雰囲氣ではありませんでした。

中には

「もうあんな人にはついて行けない」

と道場を去る人もいました。

そんな中で僕は

「別にヨーガの技術と事件って関係なくね?」

と意外に割り切って考えていました。

実際に「合氣道」の開祖である植芝盛平氏はまるで神業的な技術を持っていたそうですが、裏では弟子の悪口を言いまわったり、嫉妬なども凄かったそうです。

そんな超大物を悪くいうつもりはないですが、その植芝氏の「人格」ではなくて「技術」に惚れ込んで大勢の弟子が集まっていましたし、その門派からたくさんの著名人が排出されたのも事実です。

僕はそれで良いと思っています。

特に「精神世界」に携わる人は自分が教えを受ける人に対して「人格」というモノを求める事が多いような氣がします。

僕なんかは「ヨーガ」をお教えさせて貰っている立場ですから、初めて会う人なんかは僕の事をある意味で「聖者」みたいにしたがっている人もいたりします。

どーも、こんにちは聖者です

別に僕は「聖者」になりたくてヨーガをやってる訳ではありませんし、「聖者」になんてなれるとも思っていません。(そんな歌ありましたね)

僕の知ってる人で「先生」に人格を求めるあまり、自分が少しでも氣に入らない事を先生が言ったりするとすぐに鞍替えする人がいましたが、そんな人はどこまで行っても高いレベルの技術なんか身に付くわけがありません。

あくまで「人格」は「人格」、「技術」は「技術」だと割り切れないと自分のレベルアップの足枷になってしまいます。

あと、言えるのが

「あなたはそんなに人に人格を要求できるほど人格者なのですか?」

と言う事です。

そんな風に人に人格を求める人って結局どこまで言っても人を引っ張って行けるような人にはならないし、成長もないんじゃないかな~と思います。

う~ん、文章を書いていて思ったんですけど、なんか「氣塾」の木村師匠が人格者じゃないみたいな感じにも受け取れるな・・・・・・

誤解の無いように言っておきますが木村師匠はキチンとされている方で立派な人格者です(ネタ抜きで)

先生、笑顔がとても素敵です♥

「人格」を求めるならば自分自身に

「人に人格を求めない方が良い」

そんな事を書いてますが、自分自身の事となると話は別です。

別に自分が「人格者」だとは全然思っていませんが、「人格者でありたい」とは考えています。

やっぱり人間的にどんどん成長したい訳ですよ。

なので自分の行いや言動に関して深く反省する事もありますし、「自分はどうあるべきか」などと常に考えています。

さっきも書きましたけど「人格は人格、技術は技術」だと思っています。

でも本当の意味合いでは技術に人格がついてきてこその成長ですので、全てを総合して自分自身の「力」になる訳です。

「技術」は練習すれば誰でも身につきます。

世間一般では「超能力」と言われるような技術すら練習で習得可能です。

でも、その技術を使って人からお金を巻き上げたりする悪さをしている人もいますが、そういった人は本当の意味で「力不足」になる訳です。

でもパッと見で

「この人は何でも分かる人だから凄い人だ」

と思わせたりする人なんてのは信じない方が良いと思います。

だってそういう人は本質的な部分が「力不足」な訳ですから。

ちょっと話しがそれてしまいましたが、何をやるにしても人に対して「人格」を求めるんじゃなくて自分自身に「人格」というモノを追求して成長した方が良いな~、というお話でした。